「マンガでわかるサピエンス全史の読み方」を読んで
【結論】マンガではわかりません
正直、マンガとサピエンス全史の内容の関連の無さが印象に残った。
ただサピエンス全史からの引用や説明ページがありそちらで理解できるので、あくまで関連性の薄さが気になるというだけ。
◉狩猟採集時代の方が人類は幸せだった?
自由な生活をできた狩猟採集民族に対し、農業革命を経て得をするのは非農耕民になった。農耕民は必死で耕しても自分でそれを食って生活できない。
利便性を追い求めて携帯とか進化していくけどいつの間にか携帯に縛られむしろ不自由な生活。LINE返さないと嫌われるとか。
◉後戻りできない贅沢の罠
一度踏み入れてしまうともう戻れない。自分の分を自分で調達していた狩猟採集時代は自分の分だけ頑張れが生きていけたが、農業革命後に仕事を分担してしまってからは、自分の仕事をするだけでは飯が食えない。(小麦農家は小麦を必死に育てても、それを食うために必要な他の材料を手に入れるために、もっとたくさんの小麦を育ててその対価として手に入れなくてはならない。)
このようにして自分の分だけやればいいという段階に戻れなくなってしまった。それがどんどんと続いているのだ
◉想像上の秩序が支配構造を生む
番人は平等であると主張し統治したアメリカも、神に選ばれた自分が絶対だと神権政治をしたハンムラビ王国も、真逆の主張であるにも関わらず統治できていた。つまり主張の正しさは必要ない。正しいと信じられればいいのである。
◉想像上の秩序から逃れられない
権力者たちは既得権益を守るフィクションを作り続けるし、その他大勢は反乱を起こすにもそれに応じたフィクションが必要となる。フィクションなしに共存することができないのだ。
◉大抵の社会政治的ヒエラルキーは論理的基盤や生物的基盤を欠いている。
ただの偶然による出来事を神話で支えているに過ぎない。想像力が生み出した虚構を現実の社会構造に変換した出来事を知るために歴史を学ぶのだ。
人間なので何かに拠らずにはいきていけない。だからフィクションは必要。しかし周りに流される必要はない。昔のようはフィクションは崩壊しつつある。新たなフィクションをどう選んでいくか。フィクションはフィクションであることを認識し、その上で自由に選択していくようにしたい。